『身体の一部をある場所に置いてくる』
美容室の床に散らばった私の髪の毛が、モップで掃かれる。
あっという間に小さな山になって、その山は他の誰かの山と混ざりあって、暗いところに仕舞われる。明日か明後日には、煙突から立ち上る煙になる。
身体の一部が切り離されても、それをゴミや物質と感じることがあまりない。あれはまだ、ずっと私のままだ。
切り離された身体の一部(歯、髪、爪)を、私本体から遠く離れた場所に置いてくる。私による私との別れはとても切なくドラマチックである。切り離された瞬間、突然恋人のように感じる。それを置き去りにして何事も無かったかのように去る。
置いていかれた私は、私がしたことのない経験を私の知らぬ間に行う。会ったことのない人とすれ違い、海を漂い、空を飛ぶ。
私は外の世界と繋がるのを感じた。
この瞬間も私は同時にいくつもの場所に存在する。









よくわからんポエムみたいなことを書いているけど、これはよくわからんポエムです。若いから別にいいんです、こういうこと書いても。仕方ない。
『身体の一部が切り離されても、それをゴミや物質と感じることがあまりない。あれはまだ、ずっと私のままだ。』
これは一体なんなのかというと、切り離されても切り離されてなくても、自分の身体を身体と思えないことがそもそものはじまりというかきっかけというか、自分にとって大きな謎だった。そもそも自分の身体を自分の身体と思えないのだから、外との境界もない。
抜いた親知らずをドラッグストアで買ったなんかの液体(忘れた)に浸けて保存していたのがあったので、それと、自分で切った髪の毛と爪を使った。
歯は、友達の作品の撮影に運転手として同行したときに、友達とカメラマンが撮影している横でついでにチャチャっと撒いてチャチャっと撮った。
髪は、束にして渋谷まで持って行って、宮益坂の歩道橋の上についている青色看板の裏側に、人目を盗んでコソコソと貼り付けた。別にどこでも良かったけど、なんか絵になりそうだったし、少なからずステッカーを街に貼る行為って、自分の存在をそこに残すみたいな意味があるような気がして、だったらもう自分を貼ったらいいのではと思った。
爪は、トレーシングペーパーで作った封筒に入れて、ネットで調べた風船屋に電車で行って、たった1個だけ買ったヘリウムガス入りの風船にくくりつけた。そのまま電車で羽田まで直行して空港の展望デッキに着くと、結構人がいて、目立つ〜やだ〜帰りたい〜無理〜と思いながら風船を飛ばした。大きな管制塔から、不審な物や鳥などがいないか確認してる大人がいるだろうなとビクビクしながら、すばやく写真を撮って、危険な事してマジでごめんなさいと思いながら逃げるように帰った。
実際に作った時の話はこんな感じだけど、なんで自分の身体を自分の身体と思えないんだろう、という疑問は解決しなかった。こうやって形にすれば、身体に実感を持てるかもと思ったけど、別に持てなかった。怪我をすれば痛みは感じるし、風邪をひけば苦しいけど、別になんでもない時は、自分の肉や骨が洋服や着ぐるみのようにしか思えなかった。容れものみたいな感覚。
それから数年経って、考え事をしながら立川駅の近くを歩いていたら、突然答えがわかった。私は、子どもの頃、頻繁に母親から叩かれ、殴られ、蹴られ、物をぶつけられ、物でぶたれていた。目立った外傷やアザはなかったけど、頬は赤くなり、頭はたんこぶだらけでボコボコだった。ずっとそんな感じだったから、それがおかしなことだなんて思わなかった。母親の行為は間違っていて、あってはならないことなんて発想はなくて、自分が悪いからだ、自分の存在がダメなんだと思うしかなかった。でも身体はすごい。私自身を守るために、受けたダメージを身体だけにとどめるために、脳や心と切り離した。解離とか離人とかいう言葉もある。身体の感覚を、全部脳や心につなげて、ダイレクトに伝えていたら、きっと耐えられなかったし、取り返しがつかないことになっていた。今よりずっと気が狂っていたと思う。自分のコントロールを超えて、勝手に防衛モードになるんだから、身体って賢い。
今現在、自分の身体の実感が戻ってきたかというと全然そんなことなくて、やっぱり服みたいに思ってる。感覚も信用してない。うまく扱えないから、よくぶつけたり、怪我したりする。体育が苦手だったのはこのせいもあるのかもしれない。スケボーに乗るのはやっぱりめちゃくちゃこわいし、包丁とか刃物を使うときも二人羽織のような感覚でめちゃくちゃこわい。
自分が虐待を受けたとはっきり自覚して、事実と向き合うようになってから読んだ本に、精神的、身体的に虐待を受けると、脳が深刻なダメージを受けると書いてあった。私は、認知症予備軍の高齢者が対象の脳ドッグを予約して受けに行った。MRIが爆音だなんて知らなかった。未来の実験音楽のライブみたいだった。結果は結局なんともなくて、きれいな脳だと医師に言われた。友達はみんな良かったねと言ってくれたけど、私は母親に、お前のせいでこうなったんだ、一体どうしてくれるんだと鬼の首とったように突きつけられるものが、正式に責めることができる証拠がほしかった。でも脳に問題はなかった。たぶん、とっくの昔に身体と切り離したから。
歯や髪や爪、身体から身体の一部を切り離して置いてくる行為は、意図せずとも、私の身体から脳や心、感覚を切り離して置き去りにすることを表していたのかもしれない。

ハミスチー