なんでわたしはディズニーランドにいけないの?
≫≫Memory.1
わたしは、たんじょう日とクリスマスになると、とうきょうに住んでいるおばさんから(おかあさんのおねえちゃんです)、
ディズニーアニメのビデオをプレゼントしてもらっています。
ようちえん生のころからもらってるので、6才になった今では、ディズニーランドのキャラクターをたくさん知っています。
わたしはディズニーランドに行ったことがないので、早く行ってみたいです。
でも、お父さんとお母さんは「こんでいるからダメ」「めんどくさい」と言います。
お父さんは出かけるのが好きなのに、わたしの好きなところには行きません。
行くのは、山と、ぬまと、みずうみと、お花やさんと、おそばやさんです。
友だちから、ディズニーランドのおみやげのキーホルダーやチョコのおかしをもらうので、わたしも自分で買いたいと思っています。
でも、行けないので、かなしい気持ちになります。
なんで、わたしはディズニーランドに行けないのでしょうか。
でも、ディズニーのビデオはたのしいし、おもしろいので、好きです。
≫≫Katharsis.1
記憶のかけらを拾いました。
小学校に入ったばかりの6才のともちゃん。
ディズニーランドに行きたくても行けなかった、悲しくて悔しい記憶です。
ともちゃんは、東京に住む叔母から贈られてくる、ディズニーアニメのビデオが大好きでした。
それらを見て育ったともちゃんが、ディズニーランドに興味を持つことはごく自然な成り行きでありました。
それにその楽しいものが、「東京」から贈られてくるという事実も、東京をより特別な存在へと変えていったのでした。
ともちゃんが生まれ育ったのは、東北地方の田舎の港町でした。
東京へ行くには、必ず大人の力が必要になります。
しかし、肝心な両親の理解は微塵もありませんでした。
ともちゃんに強く芽生えた気持ちはこうでした。
「自分で東京へ行くしかない。早く大人になろう。」
この環境は、早くからともちゃんに自立心を与えました。
自分で問題を解決しようと試みる独立心も、この頃から育っていったのかも知れません。
好きなことを追求したり、志に燃える野心も、こうした背景の賜物と言えます。
それに、ともちゃんは友達が笑顔でディズニーランドの思い出話をしているときに、
キャラクターの名前を間違えたり、違うことを話しても、決して正そうとはしませんでした。
思い出に浸っている気分を壊す真似はしたくない、という大人びた理由ではありません。
心の中で「間違えてる、違うのに。うわぁ、本当は全然知らないんだ!」と嘲笑っていたのです。
人を影で揶揄しがちな性格になったのも、この頃からでしょう。
ともちゃんは高校を卒業すると一目散に上京しました。
ひとたび自分には向いていないと思い立つと、全く別の分野に挑戦しようと考え、課題や就職先も決めてきました。
そして、甘えてばかりいる人を毛嫌いするようになりました。
ディズニーランドにまつわる体験は、ともちゃんの人格形成に大きな影響を及ぼし、
自分の人生を左右する上で、欠かせないものとなっていたのです。
* * *
さて、ともちゃん。
今、ともちゃんが感じていることは、これからともちゃんをつくる上で、とっても大事なこと。
そのともちゃんを、好きだと言ってくれる人や面白いと言ってくれる人が、これからたくさん現れる。
あ、ごめん。たくさんではないかも。
でも、みんな、大切な人たちばかりなの。
だから、今のまま、お父さんと弟と、山登りをして自然と触れ合えばいいんだ。
それもまた、ともちゃんをつくる大事なことになってくから。
好きな味は苦みと激辛です。
休日はカメラを持って出かけています。