教室の隅っこで静かにクスクスと笑い合っているような、かつての善いインターネットはどこに行ったのか?あれは幻だったのか?

SNSにもニュースサイトのコメント欄にも、過激なマッドマックスたちが現れては日々暴走している。あー辟易する。うるせえし疲れるから近寄るのやめようっと。知性があって文化的で、それでいてユーモアがある、あの頃のインターネット。僕たちの大切なインターネット。オタク寄りの人たちが外野からキモいと思われながらも、熱量と湿度を持って好き勝手やっていた、リベラルな空間。現実世界から離れて、もうひとつのリアルを求めて彷徨った仮想空間。見知らぬ人と袖振り合う高揚感、見知らぬ人から受け取る優しさ、そして見知らぬ人はいつしか大切な友となった。

スマホが普及して、ほぼ全ての国民がインターネットの世界になだれ込んできた。そして偉大なる先人たちが作り上げてきた土地を、道を、踏み荒らし、我が物顔で占領している。「最近引っ越してきた者です…あの、これつまらない物ですが、良かったら…」と、しおらしく海苔を差し出したりはしないのか?オンラインがオフラインと同じくらいヒトで溢れるようになり、企業は新しいビジネスをどんどん生み出した。広告もどんどん流れるようになった。なんだこれ!つまらない!面白くない!不快極まりない!


確かにそれは一理ある。心を痛めてまでインターネットする必要はないし、信用できないサービスを利用する必要もない。でも、でもたぶんあの頃の善いインターネットは増えすぎた情報により埋もれやすくなっただけで、今も変わらず存在している。波に押されて流されながらずっと浮遊している。なんなら治安の悪いインターネットだってあの頃からあった。ただ、明らかに、ここは危ないですよ、危ないのが嫌なら近づかないほうがいいですよ感があったから距離を取りやすかったというのはある。

さて、昨今のネットに絶望した人は森や海に行くもよし、動物と触れ合うもよし。血の通った実生活で心を温めることをおすすめします。ネットはあくまで情報を得るツールとして、ドライに扱うのがちょうど良いかもしれません。

でもおれはなぜかインターネットが好き。すごく好き。面白い人がいっぱいいて、面白いこといっぱい言ったりやったりしてるから、全然嫌いになれない、ごめん。誰かの表現した何かを見て、わかるわーって思ったり、助かるわーって思うこともたくさんある。もちろん、オエッ!キモッ!てなることもたくさんあるけど、それでも期待しちゃう。まだまだ可能性を感じさせてくれよ、夢を見させてくれよと思ってしまう。現実世界にも肌に合う場所、合わない場所があるように、インターネットにもいろんな場所がある。自分で選んだ狭いインターネットばかり見ていると、持っている情報に偏りが出て、そのことにすら気づかないという危険性はある。いろんな人がいて、いろんな考えがあって、自分の考えは『一般的』だとか『正しい』とか思い込みすぎないように気をつけたいって思ってる。それはそう。でも、楽しいインターネットを散策することは趣味であり、癒しでもあるから、やっぱりやめられない。地位や肩書き、年齢、性別、あらゆるフィルターを通して扱われるオフラインと違って、ただのじぶんのままここにいてもいいのがうれしい。

どんなに人口が増えても教室の隅っこでクスクス笑い合うようなことをしていたい。自分の気分が良くなるものをインターネットの飾り棚にちまちま集めて並べたいし、それをたまたま見かけた人の気分も良くなったらうれしい。楽しいインターネットを守りたい。kiss.