2018年の年末から、朝、近所の公園でランニングをしている。1周1キロに満たないくらいの公園。毎日というわけではないし、特に夏の間はあまり走っていないけれども、走り始めてもう7年が経とうとしている。
7年経つにも関わらず、相変わらず走るのはだるいし走る距離が伸びたわけでもないし脚が速くなったわけでもないし体力がついたわけでもない。成長がない。それが、先日ふと来年の11月にフルマラソンに出ようと決めてからというもの、5キロくらいなら余裕で走れるようになった。最近では1時間走をすることもある。要は気持ちの問題だった。
最近は走るときにPodcastを聴くことが多い。30分程度の番組を2本聴けば1時間になるし、番組をたのしんでいるうちに5キロ走ってた、7キロ走ってた、1時間走ってた、というのはかなり楽だ。
今日はPodcastじゃないな、という日もある。ひとの声じゃなく、もっと情報量の少ないものを聞きながらぼーっと走りたい。そういう日は、適当に入れたジャズを聞いている。ジャズにも情報量の多さ/少なさがある。できるだけ情報量の少ないジャズがいい。
情報量の少ないジャズを聞きながら走っていると、目から摂取できる情報量が増える。木々の葉が黄色く、赤く色づいている。秋だ。
去年気づいたのだけど、紅葉の流れが、色相環の並びに沿っていることを発見してびっくりした。色相環の並びに従っているのは光だけだと思っていた。それが、植物の葉の色もそうなんだと気づいて、自分のなかでは大発見だった。葉が緑→黄→オレンジ→赤の順に変色していく。植物によっては緑→赤とか、緑→紫とかもあると思っていた(あるかもしれないが)。妻にそのことを伝えると、葉っぱのなかで光の屈折率が変わっていくのかもねと言っていた。そういう考え方もあるのか。

木によって、葉がきれいに全部赤く染まっているものもあれば、緑〜赤のグラデーションをなしているもの、黄色で止まっているものなどさまざま。陽の当たり方が関係しているのだろうか。それとも、木ごとに紅葉の仕方があらかじめ決まっているのだろうか。
7年近く走っていて、これまでいったいなにが目に映っていたんだろう。考えごとをしていた記憶はあるけど、公園を目でたのしんだ記憶がほとんどない。

初老



