夜が明けなくなってもう半年になろうとしている。夜には魔物が出るから、不要不急の外出は控えるように言われている。食料品の買い出しにも細心の注意を払う。魔物はどこに潜んでいるかわからない。
多くの店がつぶれた。行きつけの居酒屋も、喫茶店も、本屋も、塾も、ダンススタジオも、カラオケも、今ではもうまともにやっているところはほとんどない。大手のファミレスだって軒並みつぶれた。学校ですら機能していない。そうして今思うのは、つぶれてみると、どれもないならないでよかったんだなということ。あまり悲しくない。僕の心もいつの間にか魔物に喰われてしまったんだろうか?
先月くらいから「#不要不急団」というゆるやかなネットワークが生まれ、不要不急の外出をするひとたちが出てきた。魔物に襲われるスリルを味わいながら外に出るのがたのしいのだという。もぬけの殻になった街に出てなにがたのしいのだろうと思うけど、背徳感がたまらないらしい。よくわからない。つぶれたカラオケボックスなどに集まって、歌を歌ったり酒を飲んだりしているらしい。そこまでして歌いたい歌も、酔いたい理由も、僕にはない。
そういえば「明けない夜はない」みたいなことを歌うミュージシャンも減った。夢とか希望とか光とか、やたらポジティブな歌詞が目立っていた二人組のミュージシャンも、最近どうしているのかわからない。かといって、もうこの世は終わりだみたいなことを歌い続けているバンドもあまり人気はなく、最近は環境音を取り入れた音楽を作り続けているアーティストが人気だ。鳥の鳴き声や川のせせらぎがビートに乗っかって、それがやけに懐かしい。
おととい、祖父が魔物に襲われたという連絡が母から来た。でもどうしようもない。お見舞いにも行けないし、行けたところでできることはない。祈るくらいしかできないし、祈るくらいは部屋でもできる。
最近は生活をより快適にするのが個人的なブームだ。昨日ようやく、ずっとやりたかった本棚の整理を終えた。CDをアーティスト名で、邦楽は「あ」から順に、洋楽は「A」から順に並べた。2,000枚近くあって、やり始めて後悔したのだけど、終わってみると達成感が半端なかった。あとは使っていなかった皿をビニール袋に入れて割りまくった。「じゃあどうしろって言うのよ!」とか「いいかげんにして!」とかヒステリックに言いながら割った。設定がなぜか主婦で、架空の夫への苛立ちを皿にぶつけたのだけど、これはあまりストレス解消にならなかった。夜にうるさいのは、逆にストレスになることがわかった。
買い出しの回数をなるべく減らしたいので、料理も工夫している。断食にも挑戦してみた。水だけでどれだけ生きていけるか試したところ、5.5日が限界だった。体力的にはもっと行けたけど、精神的に無理だった。1日中、空腹のことで頭がいっぱいになった。ただ、この断食実験を経たおかげで、食のありがたみがわかったのはよかった。戦時中という設定で、薄い粥をありがたがって食べたりした。「米だぁ……」と言いながら、薄い粥をすすった。ひとりで。
日に日に星がはっきり見えるようになってきた。空気がきれいになっているのだろう。ここまで夜が続くと電気をつけてもしょうがないと思うようになり、電気をつけずに生活しているひとも多い。この部屋は窓が大きいのがいい。窓越しに満天の星空を眺めると、この生活は決してよくはないけど、そう悪いものでもないのかもしれないと思う。いつかは夜が明けるのだろうか? それともこのままずっと夜が続くのだろうか? 夜が明けたとき、たまにこの星空のことを思い出して、恋しくなるかもしれない。星空を眺めながら、僕は夜が明けるのを待っているのか、明けないことを願っているのか、もうよくわからなくなっていることに気づいた。
初老