いろいろな思いから、Twitterを前ほどやらなくなった。習慣がひとつなくなったかわりに、今まではそのままインターネットの海に流していた言葉をメモとして書き留めている。SNSがあったからこそ、かろうじてつながっていた人たち。わたしはそのうち、忘れ去られるだろう。
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実山椒で舌をめちゃくちゃにする
口内炎ができてずっと痛い、何をするにも気がとがめてしまう今の生活と似ているような気がした
わたしがスタバの店員だったら「カップに絵を描いてもらえなかった人」が発生するのがかなしくて、全員に絵を描くか、もしくは誰にも描かないか、ということをするだろうな
好きな人がとつぜん「ゲー吐くまで運動したいね」と言った
鶴瓶の家族に乾杯という番組で、話を聞いている妻のほうにきちんと名字が振られていていいなとおもった。会話に関係なく夫に振られていることも多いから。
カナダから日本に来た友だちが給付金のことを「abenobucks」と言っている
夢で飲んでおいしかったあの飲み物をまた飲みたい
Saving the Planetと書いたTシャツを着ているレジの店員さんからスーパーの袋を2枚買った
インターネットでの名前を捨てて、どこかへ
クィア・アイの新シーズンを観てまたしくしく泣いた。だれかがわたしにも”You are fabulous.”と言ってほしかった
いまSNSをやめることについて考える。自分の言葉の力を他人の権利のために使わないことについて考える。おそらく自分の権利のためにもなり得るだろう、わたしはその責務を放棄しようとしている?
小説を書くことも、エッセイを書くことも、わたしにとっての「表明」だけれど、人々が苦しみ、叫び、訴えているときに沈黙を守り、その独りよがりの制作を続けていくことが、この世の中で正しいのかどうか、わからない。
校閲者として働いたり、文章を書いたりして暮らしています。
コメント
[…] Dawn Societyに冬日さつきさんの文章がアップされており、読む。ものすごく共感する。SNSの「自分の考えを垂れ流したい」と「誰かとつながっておきたい」が変に絡み合っているところに、最近息苦しさを感じていたのだと気づく。 […]