Tさん 中学校で

オーストラリアに来る前、私は珍しい(ネットで調べてもでてこなかったからそう言っていいと思う)タイプの仕事をしたことがあります。

それは介護に、通訳者を足したみたいな仕事で

話したり筋肉を動かすことが思うようにできない子の手を取って、

筆談(ペンを持った手の動き)のサポートをする、というものでした。

彼女の言葉を書く時の感覚はちょうど、スマホの変換予測みたいな感じで、私は彼女の言葉を予測しながら手を動かします。

背中に文字を書かれたときみたいに、一つ一つのストロークがどう繋がるかが分からなければ文字にすらならないからです。

間違っていればペン先をぐーっと遠くにやるか、ぐるぐるで(イライラもするんだろうと思う)伝えてくれました。

そう言う書き方をするおかげで、人によって言葉使いなども変わってきたんじゃないかなと思います。

彼女が筆談する人に合わせるとか、筆談する人が勘違いしたりということもあったのかなと思います。

筆談を誰が担当するかによって言葉の雰囲気が変わります。

そのことで、本当にどこまでが彼女の言葉なのか?と疑う人もいたと思います。

正直、疑ってる、と思わざるをえないような態度の大人もいました。

残念だなと思ったけどこの筆談を実際にやってみない限り仕方のないことなのかなとも思いました。

もちろん私は本当さを伝える努力はしたつもりでした。(私だってこんなの演技でやるわけないわい!という気持ち。)

私が誤訳して自分の言葉にしていたらどうしようといつも不安に感じていました。

私の脳にインプットされてる言葉たちが拙くて、彼女が本当に言いたいことを言うことが難しくなっちゃったりして、とか。

彼女は声を出して話すことができないから、たしかめる方法も難しくて

たびたびYes Noで答えられるような質問をして、どちらかを指してもらって確認をしていました。

時々、文字盤(こっくりさんみたいな)を作って手の動きをみたり。とかもやってみました。

なるべく忠実に彼女の言葉を書き取れるように注意していたことは確かですが、それでもやっぱり私を介して言葉にしている以上は、ある程度私が入ってしまうんだろうな、とも思います。

その仕事をはじめてまだそんなに経っていない頃、彼女の言葉を何かの形にしてみたらどうだろうと思い聞いてみると面白がってくれて、アニメにしてみました。


この言葉は本当に彼女の言葉なんだよ!という気持ちで書いたのに

紙に何度も彼女の文字をなぞっていって、どんどん私の字になっていく。

私を通して形が変わってしまう。でも信じるしかない、というか確かめる方法も限られているし、

それでも信じなければ彼女が「考えをもっている」ってことじたいが嘘になってしまいます。

でもこの手書き文字が自分と彼女の間って感じがしてとても面白かったです。

彼女はじぶんの思いを誰かを通してじゃないと伝えられないことに、困っていただろうと思います。

私は他人のことは本当にわからない、わからないからどうする?っていうことを考えました。

文字の話を終わります。