こどもの頃、自宅から遠く微かに観覧車が見えた。どこの遊園地のものかはなんとなく予想がついていたけれど、それ以上調べるようなことはしなかった。

年月と共に段々と自宅周りの景観は変わり、観覧車も見えなくなった。
わたしも家を出て、遠くに見えたそれのことも忘れていった。

わたしは最近、“昔から知っている場所を反対側から眺めてみる”を実行している。

“10代の頃に毎日使っていたバス停のその前にある食堂、その食堂からバスを乗り降りする人々を眺めてみる”

“いつも乗っている小田急線から見える歩道橋、その歩道橋から走行中の小田急線を眺めてみる”

など。

そんな時に必ず「あの日の自分がこちらを見ているかもしれない」と、ありもしない妄想を抱く。

そうだ。

観覧車。行ってみよう。

突然思い出した。

地図などは持たなかった。冒頭のとおり何せ「なんとなく予想がついていた」ので心配はないし、むしろそれくらいの無計画さが良かった。

目的地に到着するなり一目散に観覧車に駆け寄った。ついに対面できた喜びで本当は膝から崩れ落ちたかったが、冷静なふりをしてゴンドラに乗り込んだ。

観覧車から自宅を探したが、見つけることは出来なかった。しかし自宅前の赤い橋だけは確認できた。あの橋はいつだって目印になる。あの橋を越えた反対側すぐのところがわたしがいた家。

 「だいたいあの辺りだな」

そこからこちらを見ているこどもの自分がいるような気がして、小さく手を振ってみた。

わたしたちの間の赤くて長い橋は街の動脈みたいだった。