10月の初め、日記にしばしば出てくる「近所の老夫婦が営む居酒屋」が閉店した。「近所の老夫婦が営む居酒屋」と書いていて思ったのだけど、「近所の老夫婦」が営む居酒屋なのではなくて、正確には老夫婦が営む「近所の居酒屋」だ。老夫婦は近所じゃないところに住んでいたと思う。

妻と付き合い始めて割とすぐの頃から通っていた店であり、自分で言うのもなんだが、我々は常連だ。ここが人生初の「行きつけの店」かもしれない。この店の名前を仮に「しょうちゃん」とする。

「しょうちゃん」は、安くておいしい料理を出してくれた。おいしすぎず、かといって値段に見合うくらいのそこそこの味かというとそうでもなく、何もかもがほどよく上回っていた。居心地がよく、我々はやる気のないときには二言目には「しょうちゃん行くか」と言うようになっていた。

「しょうちゃん」には「しょうちゃん焼酎」というオリジナルの焼酎があり、これがまた安かった。ビールの後はいつもお湯割りを2杯くらい頼んでいた。店のひとたちは「しょうちゃん焼酎のお湯割り」のことを「しょう湯」と略すので、最初の方は「しょうゆ!?」と思ったものだった。

「しょうちゃん」には隠しメニューもあった。おかあさんから「塩タラあるよ」とか「にんにく漬けあるよ」とか教えてもらえるようになったとき、自分たちの常連度がかなり上がったことを認識した。塩タラは、めちゃくちゃ塩漬けにされたタラを焼いたものらしく、1切れで1か月の塩分を摂取できるくらい塩辛かった。しょう湯が進む。にんにく漬けは、にんにくをまず皮ごと焼いて黒焦げになるくらいまで火を通したあと、しょうゆに3か月ほど漬け込んだものらしく、この春から妻が家で作るようになった。冷蔵庫が臭くなって半年経つ。「しょうちゃん」で食べたそれと違って、我が家のはなにかが足りない感じがするのだけど、そのなにかを知る手立てももうない。

大将の名前が「将太」とか、苗字が「庄野」とかだから「しょうちゃん」なのかな、と思っていたけど、まさかの「国生」みたいな「しょう、そこに付くの!?」パターンだった。山口だからぐっさんみたいなパターンだ。

いつかは閉店するだろうとは思っていたけど、終わりを認識できないまま閉店していたのが淋しい。大将も奥さんももういい歳なので(80を超えていた)、せめて余生をたのしく過ごせればいいなと思う。

我々の住むマンションの奥の部屋にも老夫婦が暮らしているが、つい先日、引っ越してしまったらしい。玄関前にいつも置いてあった買い物用のカートがない。このマンションは我々の年齢よりも築年数が上なので、結構ボロくて、住んでいるひとも少なくなってきた。年々ひとが減っている気がする。新しく入ってくる気配がない。

いろいろな建物が壊されて、いろいろな建物ができてゆく。ひとがいなくなり、新たなひとがほんの少しだけ入ってくる。このところ日常生活の代謝を感じることが多くて、いろんな風景が変わっていくことを淋しいと思いたいけれども、そのスピードが速くて、感情が追いつかない。