角海老のある風景がなくなったら東京はいよいよ終いだ、

新宿三丁目にある世界堂とドトールの間の横断歩道をわざわざ立ち止まって、赤い文字を見つめる



とある喫茶店のおかっぱ頭の男の子

礼儀正しくやわらかい接客をするひと

珈琲は高くて1000円近くするけど、ときどき煙草が吸いたいときには分厚い本とマッチを引っさげて向かう

ここのお店はいつ行っても大繁盛している

店員さんたちは機敏に動いていて、見ていてとても気持ちがいい

ここで働く若いひとたちはどんな夢をもっているのだろう

煙草のにおいをさせながら電車に乗って帰る

(先日行った新橋の喫茶店では、「煙草は3本まで」と張り紙がしてあった)



ある日、女の子の友だちを連れて新宿の街をぐるぐるまわる

私たちは理想のパフェを探している

店頭の食品サンプルやメニューをチェックし、これじゃないねと別の店を次々と提案してみると、「喫茶店のストックがあるのがいいね」と言ってくれた

彼女とは3、4年ぶりぐらいに再会し、以前のようにこうして二人で街を歩いた

会わなかった時間がほとんど嘘みたいに 二人でいることがとても自然であったので、私はいたく感激した


もしかしたら とうの昔に会わなくなってしまったけれど、ある時期をともに生きたという実感が名残り惜しく、実際のところどうであったかは別として その人のことを思い出そうとすると、心の中にいい風が吹き抜けるような感じがする場合、

とっくに会ってみてもいいのかもしれない

それで再び人生が交差した!と感じることもあるだろうし、やはりすれ違いには理由があったのだと納得することもあるだろうけれど、そんなのはなんだっていいような気がする

会う選択をすることのみが希望であり、その先の意味づけを求めるのはきっと無意味だと思うから