nostalgia

 出張の多い仕事で、日本の主要な都市にはほとんど行った。2000年代後半から、だいたいどこも駅前の風景が同じようになってきたように感じる。駅ビルに入っているのは同じようなアパレルショップ、同じ規模の書店、同じような飲食店。加えてインターネットのおかげで(せいで)、「どうしてもそこに行かないと買えないもの」が少なくなってきた。もうどこにいても同じようなものが手に入るし、街の顔も同じようになってきた。匿名の街に住んでいるみたいだ。

 tumblrにひとりコツコツどこかの風景をアップし続けているひとがいて、もう5年くらい見続けている。おそらく自分の住んでいる町の景色なのだろう。毎日1枚ずつ、ほんとうに取るに足らない風景がアップされるだけなのだけど、それがよかった。日本のどこかにこういう場所があるのだと実感できるのがいい。
 住み慣れていない場所は、文法が違うように感じる。建っている家の雰囲気、公園のにぎやかさ、咲いている花、抜け道の使い勝手などなど。似ているようで全然違う。いまも毎日アップされる風景は、行ったことがないのになつかしい。そこが何県の、なんという町なのかも全然わからないけれども、いつか行ってみたいなと思う。

 ふと、自分が住んでいるこの場所だって、誰かからしたらまったく知らない場所で、興味深い風景になり得るんじゃないかということに思い至った。それから毎日必ず朝8時に、同じ場所を同じ角度から写真に収め続けている。そうしてあっという間に半年が経った。角のたばこ屋がこの半年で潰れた。毎朝この時間にバス停に向かう女性をこのごろ見なくなった。陽の当たり方や空気の感じが変わっていくのがわかる。
 これをネットにアップするのもなんだか違うような気がして、携帯に入ったまま、誰にも見せていない。この風景は誰かの目に触れることが重要なのではないのだと、勝手なことを思う。来週引っ越してしまうのがとても淋しい。