印税生活

ラジオを聴いていて、誹謗中傷にどう対処するかという話題がちらほら取り上げられるようになった。国会でもネットでの誹謗中傷が野放し状態になっていることが協議されている。

初めて漫画を連載したときについた大量のコメントはなんだったのだろうかと今も考える。何千件ものコメントの半分は、「へたくそ」とか「漫画描くな」とか、主語が抜けていて誰に何を伝えたいのかが分かりにくい、短いものだった。それでも悪意、もしくは無関心があることは分かるので、悲しくなる。どうも侮辱罪にはあたらないっぽい。表現の自由の範囲っぽい。ネットで似たようなお悩み相談を探すと、「気にしないこと」「書き込む人は人の気持ちが分からない仕様がない人」とある。私は、書き込んだ人が人の気持ちが分からない仕様がない人かどうかなんて知らないから、そう決めつけることに悲しくなる。編集さんには、コメント欄は見ないようにと言われた。

コメントには「いいね」がつけられるようになっていて、キャッチーで目立つ批判は「いいね」がつきやすい。そんな気持ちのいいシステムがあったら書き込むよね、と思う。傷つくコメントを書き込む人より、これを公式の場として良しとしている出版社の方に疑問が湧く。作者もこの状態を良しとしている、と見られてしまう(気がする)。「見ないように」という対処策は、対処になっていないと今は思う。きちんと「コメント欄を閉じてください」と言えばよかった。

Twitterは似たようなリプライが来たら嫌だなと思ってやめてしまった。Instagramは、毎日過去の投稿を大量に「いいね」する人がいて、対抗して(?)過去の投稿を消していたら相手の「いいね」の方がスピードが早く、負けた(?)と思いアカウントを停止してしまった。最近また再開したけれど、コメント欄を閉じていても心臓がどきどきする。もうやめたい。

初谷むいさん

(初谷むいさんの歌集は、言葉でたくさん傷ついたとき、言葉って本当はこうやって使うんだった、と思い出させてくれる。「カーテンがふくらむ二次性徴みたい あ 願えば春は永遠なのか」「どこででも生きてはゆける地域のゴミ袋を買えば愛してるスペシャル」)