いつも不思議で仕方がない。クラスに友達がいなくても平気そうにしている。堂々としている。一人にならないために仲良くもない奴と面白くもないのに笑っている大勢とは違う。そんな彼女が車道を挟んで歩いている。たまたま帰る方向が同じなだけで、別に後をつけているわけではない。大きなヘッドホンをして、ブレザーのポケットに手を入れている彼女は、歩くのが早い。別に後をつけているわけではなくて、たまたま俺も歩くのが少し早いのだ。追い抜くのも疲れるし、わざわざ遅く歩くのもばからしいから、たまたま同じようなペースで歩いているだけなのだ。
彼女は流れるように突然、のれんをくぐり、一軒の蕎麦屋の中へと入っていった。俺は慌てて車道を渡り、そば屋の壁に背中をつけて、振り返るようにして大きな窓から中を覗いた。自分でもなんでこんなことしているのか分からない。彼女が椅子に座るやいなや、奥からおじさんがニコニコしながらとっくりとおちょこを持ってきてテーブルに置いた。彼女はさも当然のようにおちょこに注ぎ、それを口に運びながら、テレビの相撲中継を見ている。明らかに異様な光景のはずなのに、周りの大人たちは何も気にしていない様子で、それぞれ蕎麦をすすったり、夕刊を広げたり、同じようにテレビに目をやっている。遅れて運ばれてきた盛り蕎麦とだし巻き卵をさっと食べると、彼女が店から出てきた。

「何?」
「…えっ!?」
話しかけられた。油断していた。
「なんでずっといるの。なんか用」
「いや…あっ、お酒!お酒飲んでたから!」
「お酒…?…ああ、あれね。わざわざそれ言うためにここで待ってたわけ?」
「いや…。別に、そうじゃなくて」
「…」
「あ、それ!」
俺は目についたヘッドホンを指差した。
「はい?」
「それ!何聴いてるの」
「え?いろいろだけど」
「いろいろって何」
「…ツインピークスとか、ウィーザーとか」
「ツ……?ウィ……?」
「ツインピークス。中野は何聴くの」
「えっ」
ロクに会話もしたことがないのに、彼女は俺の名字を知っていた。そして呼び捨てされた。
「ボカロとか」
「ふーん、まあボカロも、いいよねぇ」
そう言いながら彼女は歩きはじめたので、俺もつられて歩き出した。

「あ。あれ、オレンジジュースだから」
「え?」
「お酒じゃなくて、オレンジジュースだから。おじさんがふざけていっつもああやって出してくるけど。だから飲んでない。まあ、別にどっちでもいいんだけど」
「へえ…。そうなんだ。変なの…」

普段誰かとまともに雑談してる姿なんて見たことなかったけど、予想の何十倍も普通に喋っている彼女に驚いた。てっきりコミュ障だと思っていたのに、これじゃまるで俺の方がコミュ障みたいになっている。いつもみたいにどうでもいい話を広げて、うわべでそれっぽく笑えばいいものの、なんだか調子が狂っている。住宅地の中を歩きながら、会話を続ける。

「なんでそば食べてたの」
「え?お腹すくから。そば好きだし」
「おやつってこと?」
「あー、どうだろう、おやつ兼夕飯?」
「家で食べないの?」
「まあ、今日は行くとこあるから」
「行くとこって?」
「何?暇なの?なんなの?」
彼女は呆れてるのか半ギレなのかよく分からない表情で笑っている。珍しい。笑うことあるんだ。
「もう着くよ、ほら」
そう行って彼女が指差した先には小さな庭に大きなプレハブ小屋みたいな建物が建っていた。
「何ここ?」
「予備校」
「予備校?予備校通ってるの?」
「まあ。入れば」

彼女が引き戸を開けると、玄関に知らない制服の人たちが数人いる。
「あっ、なこちゃんヤッホ〜」
「ヤッホ〜」
挨拶されて彼女は楽しそうにしている。まるで普通の女子高生みたいだ。ていうか、なこっていうのか。いや、なおこか?ななこか?俺は彼女の下の名前を知らない。
「「こんにちはぁ」」
「あっ、こ、こんにちは」
他校の人たちが俺にも挨拶をしてくれた。またコミュ障ムーブをしてしまった。クソ。
彼女は上靴に履き替えると来客用のスリッパを俺の足元に雑に置き、
「履けば」
と言った。急いでスリッパに履き替え、木造の古そうな階段を上る彼女についていく。壁にいくつも貼られているポスター類をキョロキョロ見ていると、足を踏み外しそうになった。そんな俺に目もくれず二階の部屋に入っていく彼女に続くと、そこにはたくさんの椅子と、木でできたスタンド?みたいな何かと、ギリシャ神話?みたいな白い上半身の像が並んでいた。知らない世界だ。
部屋の入り口で呆然としていると、
「ちょっと失礼」
背後から低い声がして、大人の男の人が入ってきた。
「あれ?見学?」
もしかして俺に言ってる?とソワソワしていると、
「ついてきた」
彼女が答えた。
「なこちゃんの友達?」
「友達ではない。クラスは同じだけど」
「そうなんだ、初めまして。美術部?」
「えっあっはじめまして、あ、帰宅部です」
「そうなんだ〜。まあよかったら色々見てってください。」
「は、はい」
なんで自分がここにいるのかよく分からないまま、いろんな物が置いてある部屋や、分厚い本が置いてある部屋などを見て回った。さっきの男性が予備校の案内の冊子をくれた。

「じゃ、帰る」
デッサンをしている彼女に声をかけると、鉛筆を持ったまま振り返り、
「そ。じゃ、また」
とあっさり言い、再びデッサンを続けた。
靴を履き替え外に出ると、さっきよりかなり気温が下がっている。俺は早歩きで駅へと向かい電車に乗った。スマホでツインピークスを検索して聴きながら家に帰った。よく分からないけどおしゃれな感じがした。

そういえばさっき「友達ではない」って言われたことを思い出す。確かに友達じゃないから、それはまあそうなんだよな。
絵画コース、デザインコース、立体コース、映像コース…。もらった冊子をパラパラとめくっていると、行事のページに集合写真が載っていた。彼女もいる。動物園で楽しそうにしている。知らないことがたくさんあるんだな。明日学校に行ったら、俺はまたそんなに仲良くない奴らと大して面白くもないのに適当に話を合わせて笑うんだろうか。彼女に挨拶してみたらどうなるだろう。そっけなくも返事してくれるだろうか。周りの奴から変な目で見られるだろうか。でも最後「また」って言ってなかったっけ。言ってたよな。「また」だって。「また」ってことはつまり「また」ってことだよな。えーーーーー、あーーーーー、俺も予備校通おうかな。絵なんて描いたことないけど。