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3/28
9時前起床。
妻は先日の怪我が痛むらしく、機嫌があまりよくない。
今日からとある補助金の受付が始まるのだけど、午前時点で手引きも公開されていなければ受付も始まっておらず、ツイッターで検索をかけると何人かが「またかよ、ふざけんなよ」みたいになっていた。去年の反省がまったく生かされていないことが窺い知れるスタート。今年もさんざんなんだろうなと、今のうちから覚悟をしておく。
午後からファミレスへ。書いてなかった分の日記を書いたり、本を読んだり。「ガケ書房の頃」を読んでから、「ひとりの時間をつくって読書にいそしむ」というのがとても贅沢なことのように思える。
妻の元気がないので、夕食にモツ鍋をつくって元気を出してもらうことにする。キャベツがあっという間に消え、モツもなくなり、麺を2玉入れたのもあっさり食べ終え、最後に雑炊をつくった。まだちょっと寒いので鍋がおいしいし、温まると誰でも元気になる。

3/29
昨日アップしようと思ったらできたのにしなかった日記を、午後になる前にアップ。
午後からファミレスへ。「とにかくうちに帰ります」読了。読み終わったときのためにもう1冊小説を持ってきていたのだけど、なんだかぼーっと過ごしてしまった。
夕方からNさんとオンラインミーティング。改めて思うけど、Nさんとこういう関係になるとは思ってなかったな。Nさんもそう思ってると思う。
ミーティング後、妻と夕食の買い出しに行く。夕食はフライパンいっぱいのバカデカいハンバーグを作る。バカみたいな発想だけど、デカければおいしいと思う。

3/30
朝から家を出て出勤。
最近なんだか自律神経が乱れているのか、今まで平気だったことで急に緊張状態になるので、パニック障害用の頓服薬を飲んで高速バスに乗る。結果的になんにも起こらなかった。薬のおかげというのもあるんだろうけど。
バスの中で、Apple Pencilをなくしているらしいことに気づく。昨日かおとといファミレスに落としたのか。どうしようもないので、ダウンロードしておいた「A FILM ABOUT COFFEE」というドキュメンタリー映画を観る。短めの映画なのだけど、40分くらいで眠くなってやめる。
到着してまずは、知人のお芝居を観る。まあまあだった。芝居を見終えてから、ファミレスに電話。落とし物にはそういったものはないと言われる。じゃあ家のどこかにあるのか?
昼食を挟んで出勤。今年度でお別れになるひとに挨拶。直接話せるひとにはこれまでのお礼を伝えて、ちょっとしたものを渡す。会えないひとには書き置きとプレゼントを置いておく。デスクを片付けて、30分くらいで退勤。
実家に取りに行かないといけないものがあったので、今日は実家に1泊。夕食後、ちょこっと仕事をして、風呂に入る。花粉症対策の抗アレルギー薬の影響なのかなんなのかわからないけれども、最近夜めちゃくちゃ眠くなるので、0時過ぎに限界になって寝る。

3/31
7時前起床。早起きしてしまう。8時半ごろまた眠り、10時半ごろ起床。
起きると、11月ごろ申請していた助成金の結果が出ており、ダメもとでと思っていたものが採択されていて驚いた。不採択だと思ってこの数日、別の準備を進めていたので、それらが一切なくなってラッキー。
午後実家を出る。高速バスで「A FILM ABOUT COFFEE」の続きを観る。コーヒー観が変わるようなおいしいコーヒーを味わってみたいと思った。その後、ふとしたきっかけでGoogleから35件もの身に覚えのない請求が来ていることに気づく。1件90円とか100円とかだけど、35件もあるのでトータル3,000円ちょっとにはなっている。バスの中でカード会社の連絡先を調べる。
帰ってApple Pencilを探したところ、ソファの隙間に落ちていた。ホッとしたのも束の間、今度はカードの請求についてカード会社に連絡。35件の不明な請求はなくなった代わりに、カードも再発行になった。2週間くらいクレジット決済ができなくなる。
それからひさしぶりの歯医者へ。今日は歯の型を取る日。やわらかめの粘土みたいなやつを加えたまま2分くらいじっとしておくのが3回くらいあった後、歯に開けた穴を塞ぐという処置があった。その、穴を塞ぐレジンのシンナーのにおいが強烈で、ものすごく気持ち悪くなった。直後のマスクが最悪で、数時間経ってもほんのりと風味が残っている。
夕食は近所のファミレスですませる。読書などをして、21時に帰る。
家で軽く飲む。2021年度が静かに終わった。


今年度の日記はこれでおしまいになる。去年よりも意識的に、感じたことの記述を増やそうと努めた(去年はなるべく事実の羅列にとどめた)。慣れなのかなんなのか、2年目ともなると日課の負担は減った。
これでトータル2年間、731日も日記を続けたことになる。それだけの日数日記を書き続けられたという事実は、残りの人生でちょっとだけ、なんらかの自信を持つ根拠になるかもしれない。別にならなくてもいいけど。
毎日ただ漂流している、ということは日記を始める2年前にもすでに自覚してはいたことではあるけれど、この2年で、自分の漂流に加えて他人の漂流もあるのだから、異なる2つの個人がどこか一瞬ででも接点を持てたことに対する奇跡みたいなものに、きちんと思い至れるようになった。
来年度(明日から)も日記を書き続けると、それはおそらく「厄年日記」になるのだろう。厄年だなーと思うことは、最近ちょくちょくある。だけどもう当分日記はいいかなという気持ちになっている。自分にとって意味がほとんどなくなってしまったからだ。2年間自分を観察し続けてきて、なにがよかったのかわからない。コロナ禍と丸かぶりした2年で、日記のおかげでこうならずに済んだ、という側面もあるのかもしれないけど、比べようがないからわからない。
人生が折り返しに来て、油断すると過去にばかり思いを馳せるようになった。現在を見つめる時間を減らす代わりに、その分を未来に思いを馳せる時間に充てたい。これからは黙って淡々とやっていきたい。