3時に目が覚めた。2時間しか眠っていない。今日は天気がくずれるらしく、なんとなくその気配を湿度から感じる。じめじめというわけではないけれども、決してカラッとはしていない、ほんの少し肌に絡みつくような空気。
この2か月準備してきた演劇の公演が終わった。ご時世的にもう打ち上げをしてもいい感じだったので、最後にみんなで飲んだ。飲んで騒ぐほど元気なメンバーはいないけれども、やっぱり打ち上げということもあって、みんな楽しくわいわいやっていた。
最初は20人近くいたメンバーも、途中でひとり抜けふたり抜け、打ち上げが終わる頃には半分近くがいなくなっていた。店を出て、まだまだ終電まで1時間ちょっとあったけれども、結局誰も二次会に行こうとは言わず、三々五々になってぬるっと分かれていった。
そんなにたくさん飲んだわけではなかったけれども、帰ってからの記憶が曖昧だった。風呂に入ったことも、1時に寝たことも覚えている。ただ、それらのディテールが適当に記憶されていた。
寝苦しい夜ではなかったけれども、再び快適に眠れる気もしない。結局、タブレットでゲームをしたり、Twitterで公演の感想がないか検索したりして、ダラダラ過ごした。
むかしから、打ち上げの次の日はいつも天気が悪いような気がする。若いころは二次会や三次会に行って、そのまま誰かの家に転がり込んで朝までの数時間眠らせてもらったり、家まで2時間くらい歩いて帰ったりしていた。さすがにもう最近はそういうことはしなくなったけれども、相変わらず寝なかったらいつまでも昨日を引きずれるような錯覚があって、それに浸りたいと思う自分に気づいて驚いた。少なくともコロナ禍に入ってからのこの2年間、すっかり忘れてしまっていた感覚だ。ぐずついた天気の、怠い鈍色の朝、まだまだ昨日の感情に浸っていたい気持ちと、そうは言ってももう周りに誰もいない淋しさがないまぜになった、打ち上げのあとの独特のこの感じ。簡単に言えば淋しさに酔ってるってことになるのだろうけど、いまだに淋しさに酔っちゃえてる自分って、と少し可笑しく思う。
淋しいのは、それまでが楽しかったからだ。完全に終わってしまって初めて、自分が楽しいと思っていたのだということに気づいた。歳を取るにつれて、感情の認識が現状から少し遅れているような気がする。むかしからそうだったっけ?
打ち上げの次の日の天気が悪いのは、いまの気持ちにとても似つかわしい。淋しくて泣きたいのに泣き出せないみたいな中途半端な自分を、空が体現しているような気持ちになる。この5時から6時くらいの、かろうじてまだ明日が始まっていない時間にずっと浸っていたい。眠気が来ないでほしい。明日を始めたくない。雨が降り始めてほしい。
初老