大島智子のらくがき

2022年4月

亀甲山古墳を観に多摩川台公園に行った。田園調布をふらふらして豪邸をたくさん見た。武蔵小杉まで歩いて、帰った。

レタスなどの種をまく。いつも前を通る、昔ながらの美容室の店主が、ゲームボーイ(初代)をやっていた。

川散歩。夕日が沈むまでじっと太陽を眺め、沈んでから歩き出す人を見た。立ち止まって何かを見ている人を見るのが好きだ。

NHKでやっていた、谷川俊太郎のドキュメンタリーを観る。子どもの自死をテーマにした絵本『ぼく』ができるまでのドキュメンタリー。
「おとうさんえらくなっても おかあさんをきらいにならないで」という一文が出てきて、編集者が「ジェンダーロールの固定化に繋がるのではないか」と危惧し、谷川俊太郎は「じゃあ無くしましょう」とすんなり提案に応じるシーンがあった。
私はジェンダーロールの固定化を心配することを意外に思った。この絵本のシリーズが「闇は光の母」というシリーズ名だからだ。ここでいう「母」はジェンダーロールの意味合いではないことは分かっている。スピリチュアル的な、宇宙的な意味で使われているのだろうと分かっているけれど、そこに違和感が隠れている。ひとつの性を自然界に押し込めることの危うさ。(80年代のエコフェミ論争のような?)母になれば闇と光を内包する。母にならなければ自然の摂理から除外される。

夜川散歩。バイクの集団がいて、後ろには女の子を乗せていて、懐かしい気持ちになる。

近所にオープンしたお店のクーポンがポストに入っていたので、行ってみる。人が並んでいて、待ってる間に段々虚しくなってくる。そういえば数年前にも、オープンしたてのコンビニにクーポンを使いに行き、何やってるんだろうと虚しくなったことを思い出す。その時に「お店のオープン記念には行かない」と決めたのに、またやってしまった。

暑い。初夏のよう。眼鏡に虫がつき、飛ばそうと息を吹くとお尻をあげて「ふんっふんっ」と踏ん張っている。メルカリの梱包作業はまやかしの忙しさだと夫は言う。

ウォーターフォードのA4サイズ、まだあまり仲良くない人の家に行ったときのような匂いがする。