最近よく眠れるようになって、きっと健全になってきてるんだろうなと思う。というか少し前まで社会が未曾有の伝染病で機能不全に陥ってて、それが自分の生活も蝕んでたってことなんだろうけど。しかし明らかに働きすぎに戻った「現在」が健全と言えるのか。

4年に一度の2月29日が来た。せっかくだから今日確定申告書類を提出。政治家の脱税だなんだと騒ぎになってて、ハッシュタグで確定申告ボイコットなんかも流行っているようだけど、それを横目にまんまと確定申告をしてしまうのは、単に事業が赤字だからなのかもしれないし、そうではないからなのかもしれない。確定申告をしないことの不利益を被るのは自分自身だと知っているからで、結局は、国の仕組みに負けたってことか。

ある方が某所で、絵を描くのも潮時かなみたいなことを考えたと書いていて、絵を描く方にも潮時という概念があるのかということに、初めて想像が及んだ。芸事には潮時なんてないと思っていた。おそらくほんとうのほんとうはそうではなくて、誰にでも潮時と判断するタイミングが訪れることを、頭のどこかで知っていたはずだ。

自分にだって芸事のある分野で求められていたものがあり、それを(おそらく潮時だと判断して)辞めてしまった。辞めるつもりがあったわけではなくて、フェードアウトしていった。そういったことがなぜ、他者には当てはまらないと言えよう。

その方が最近アップしている絵は、以前とタッチが変わってきており、やさしい印象を受ける。以前がやさしくなかったというわけでもないのだけど。でもなんていうのかな、ヒリヒリする感覚みたいなものは、たまにあったかもしれない。たたかってんな、みたいな。最近の絵は、そういうものを感じない、やわらかい絵だと思う。

その方が今後も絵を描き続けるのであれば、おそらくそんな感じで画風的なものもさらに転がっていくのだろう。それを可能な限りいつまでも見ていたいと、受け手のこちらは勝手に思う。こちらはあなたの絵が好きですよと言い続けるくらいしかできない。あとたまにほんの少しの課金か。

4年後の2月29日にメッセージを送信できるサービスがあることを知り、自分宛にメッセージを送った。シンプルに、自分がどうなってんのかってことだけが訊きたい。4年後の自分が不幸なんだとしたら、今を含むこれから先の自分に責があるわけで、少し身の引き締まる思いがした。きっと身近な誰かが亡くなっているだろう。うちのねこはまだ元気に生きているだろうか。新たなねこが増えてたりするだろうか。

まだまだ知らないこと、知らない感情がいっぱいあって、生きていくのおもしれえ〜と思えているので、健康に気をつけて、これからもいろいろなことを経験したい。4年後の世界が絶望的な状況であったとしても、世界がこんな絶望的になることあるんだ、へえ〜くらいの精神で生きていきたい。

4年後もまたここで似たような記録が書けたら、それもしあわせのひとつのような気がする。まだこんな駄文を書き続けてるかわからないけど。